祭りの準備

 「・・んーーっ!」
 執務室の椅子に座ったまま腕を上に伸ばし、凝り固まった関節を解放すると、
この部屋の主である後藤恒生は立ち上がり、そのまま近くの窓へ歩み寄る。
 出窓になっている少し大きめの窓を開くと、清々しい風が部屋へ舞いこんだ。

 王国歴12007年、秋。
 夏が終わり、ようやく少し秋らしく朝夕が涼しくなったこの頃。
 後藤はこの暑すぎも寒すぎもしない季節が好きだった。
 控え目だが涼しい風に吹かれながら眼下を眺めると、庭の花壇に秋桜花が植え替えられていた。
「コスモスか・・・秋って感じだ」
 ピンクや白の花弁が風にふわふわと揺れる様を見て、その可憐さに後藤の頬が緩む。

「・・・なーに、にやついてんの?」
「!!!!!!」

 突然掛けられた声に驚き、後藤が声の方へ振り向くと、すぐ斜め後ろに彼は居た。
「達海・・!お前、ノックくらいしろっていつも・・・!」
「あー・・忘れてた。悪ぃ悪ぃ」
 全く悪いと思っていない顔で、頭をガリガリ掻きながら視線をそらすこの人物こそ、
この王国で王の次くらいに有名人である達海猛だ。
 王国の主な軍事力たる騎士団を率いている【騎士団長】という肩書を持つ。
 類まれなる戦闘センスを持ち、彼個人の戦闘力もだが、戦局を読み戦術を立てる能力にも恵まれ、
更に妙なカリスマ性まで持ち合わせているという逸材である。
 逸材・・・であることは確かなのだが、非常時はともかく普段の彼はというと・・・【生活無能力者】であった。
 偉人や天才にはよくあることらしいが、集中すると寝食忘れるのは日常茶飯事。
わがままで、傲岸不遜。
 時折警邏から帰ると、廊下で鎧を脱ぎ棄てながら歩いたり、立案書でいらなくなったのを捨てながら
歩いたりと常人ではしない奇行をしでかすことも、しょっちゅうだ。
 城の中の人間や騎士団の連中はもう慣れたからいいが、多くの国民には見せたくない姿だと思う。

 そんな英雄のわがままを一番聞いているであろう人間が、後藤である。
 後藤の仕事場であるこの【宰相執務室】にも、勝手知ったる我が部屋の如く度々やってきては、
我が物顔で寛いでいる。
 そして今日も当たり前のように部屋に居た。

「・・・で?」
「?」
「何見てたの?」
 偉そうに窓枠に腰かけ、両腕を組みながら窓の外を探すように視線を走らせている。
 しかも、どことなく不機嫌そうだ。
(何かあったのだろうか)
 その理由に思い当たらない後藤は不思議に思いつつ答えた。
「いや・・別に何をというわけじゃない。秋になったな・・と思って涼んでた」
「ふーーん・・・」
「ま、敢えて言うなら『花』かな。それより、今日はどうしたんだ?」
 後藤の回答に何となく納得いってない風に目を眇めていた達海を見て、少々恥ずかしかったが
正直に花を見ていたことを告げた後藤だが、不機嫌であることが訪ねてきたことに
関連してるのではないかと気になり、少々強引に話題を変えた。

「・・・・・・・・・『花』ね。・・・ああ、これ」
 達海はもう一度ちらりと窓の外を見て何かを呟いたが、後藤には聞こえなかった。
 表情を変え、窓枠から降りると手にしていた書類を机に放り出す。
 やはりどこか不機嫌さが滲み出ている。
「こら!大事な書類なんだから投げるな!」
 お小言も何度目か。
 後藤のそれを綺麗に無視した達海は書類を二枚めくって地図を指す。
「ここ・・・と、ここ。修繕手配か警備強化した方がいい」
「何があった?」
「壁面に、不自然なひび割れ。老朽化ならともかく・・・」
「・・・わかった、至急手配しよう」
 

 この国には外敵というものが存在する。
 それは他国の者のみならず、魔物という超常的な存在が相手だったりするのだ。
 こういった存在から国民を常に守るのが、彼ら【騎士団】の役目と言える。
 騎士団長である達海は、自ら国のあらゆる処へ出掛け、自身の目で現状確認することが多い。
 その報告を【宰相】である後藤にしているのだ。
 危険の種を早めに摘むのが、平和への土壌。
 この国が今穏やかに毎日過ごせるのは、こういった仕事の積み重ねあってこそだ。

「これを見つけたから・・か?他に何か不穏なものでもあったか?」
「いや・・・なんで??」

 達海が不機嫌なのは、この不安要素を発見したせい、若しくはもっと良くない何かがあったせい
だと思って問いかけたが、達海の反応は違っていた。
「え・・いや、お前さっきから何か苛立ってるようだったから、何か起こったのかと思ったんだが・・・違うのか?」
「!!」
 そう言うと、達海は少し驚いたように目を瞠り後藤を見つめるが、すぐに視線を逸らすと
近くにあるソファに乱暴に腰かけ、寝転がった。
「べっつにーー。他にはなんもないよ。俺だって別に苛立ったりしてねーーし!」
 そう言って、口をへの字にして目をつむってしまう。
 どう見ても御機嫌斜めではないか。
 子供ならまだしも35歳の成人男性のする態度じゃないだろう。
 理由には思い当たらないが、さしあたって国の危機に関することで苛立ってたわけではないようだと察し、
放っておくことにする。
「なら、いい」
 ふぅーと大きく溜息を吐き、机に散らばっている先程の書類を束ねていると、部屋にノックの音が響いた。