◆この話は、ヘヴンオンリーのアンソロ用にと書いたものです。

 

 

〜硝子の向こう側〜

 

 

『そういえば、中嶋さんが眼鏡外してるところ見たことないなぁ』

 

 

 

ベルリバティ・スクール1年の伊藤啓太は、学生会室に居た。

学生会役員ではないのだが、たまに手伝いをしているのである。

今日もこうして手伝っているのだが、本来の主である学生会会長は留守である。

というか、大抵いつも居ない。

そして代わりにいつも居るのが副会長の中嶋英明であった。

 

中嶋は眼鏡を掛けている。

『最近は眼鏡よりもコンタクトにしてる人が多いけど・・』

 

なぜだかわからないが、啓太は最初に会った時から、中嶋の眼鏡が気になっていた。

その時は『似合うなぁ』としか思わなかったが、受けた印象は

「冷たく、少し近寄り難い」

というものだった。

実際中嶋はかなりクールな部類に入り、言葉や視線にも容赦がないのだが、転入してから

こうして頼まれて手伝いをしたりしているうちに、少しずつ「近寄り難い」とは思わなくなってきていた。

 

先日、すぐサボる丹羽の仕事の分はどうしているのかと尋ねると、

「急ぎの分は俺が処理してやっている。」と忌々しそうに眉間に皺を寄せ、

「まぁ、後でこの清算はきっちり付けてもらうがな・・。」

と人の悪そうな笑みを浮かべていた。

しかしそれは、啓太には少し意外な答えだった。

『絶対ほっといていると思った・・』

その後、丹羽のフォローはほとんど中嶋がしているという事に気が付いた時、中嶋への印象が変わってきた。

『意外と面倒見が良いのかも・・・』

実はその対象は中嶋が気に入った相手だけ、と非常に限られているのだが、啓太はまだそこまでは気が付いてはいない。

そして啓太に対しても、言葉は容赦なく態度もそっけないものだったが、目に見えない所で中嶋なりに気を使ってくれていたのだ。

これも、啓太が後から知る事になる。

 

 

 

書類を整理しながら、ぼんやりと中嶋の事を考えていた啓太だが、椅子の不具合で現実に引き戻された。

今日座っている椅子が、足の長さが合ってないのか、少しぐらついているのだ。

座った時には気にしていなかったのだが、斜め前にある書類を取る際にバランスが崩れるので、

ちょっと気になってきた。

『うーん。椅子変えさせてもらおうかな・・?』

そう啓太が思った瞬間、斜め前方で仕事をしていた中嶋から声が掛かった。

「伊藤。」

「あ、はいっ!」

慌てて顔を上げると、ずっとこちらを見ていたのか、中嶋と目が合った。

眼鏡の向こうにあるその視線はこちらを見ているが、感情が読み取れない。

「悪いが、そのファイルを右の棚に仕舞った後、左奥の本棚から昨年度の『部活動業績報告書』を

持って来てくれ」

指差された方を見やると、成程、ファイルの詰まった本棚が奥の方に見える。

「わかりました。部活動報告書ですねっ。」

そう言って、啓太は目の前に積まれていたファイルを持ち、右の棚へと歩く。

中嶋はパソコンの画面に向き直り、啓太に背を向けた状態でなにやら打ち込んでいる。

 

『さっきこっちを見てたと思ったけど、気のせいかな?』

 

言われた通りファイルを仕舞うと、啓太は左奥の棚に向かった。

この一角は学生会に関するあらゆる報告書や文献が纏まっており、図書室に居るような錯覚を覚える。

『えっと・・部活動、部活動・・・。あ、これかな?』

手に取った冊子は青い表紙に黒い文字で「○○年度 部活動業績報告書 運動部編」とあった。

「あれ。・・運動部編?ひょっとして・・・・・・あった。」

赤い表紙で同じ事を書いてあるが、こちらは文化部編となっていた。

「どっちも・・いるよな・・?」

啓太はとりあえず二冊とも持って、席に戻った。

「中嶋さん、これ。運動部と文化部とに分かれてたんで、両方持って来ちゃったんですけど・・」

「ああ、悪いな。それは両方必要なんだ。」

「そうだったんですか、よかった。」

中嶋は先程と変わらずPCのキーボードを叩いていたが、啓太から報告書を受け取ると傍に置き、

また画面に打ち込み始めた。

 

 

啓太は作業を続けようと椅子に座ってみて、すぐにその違和感に気が付いた。

 

『・・??』

 

さっきまで確かにぐらついていた椅子の不具合が、直っているのだ。

いや、正確には椅子がちゃんとしたものに取り替えられている・・のだと思う。

ここにある椅子は全て同じ物だから、見分けは付かないが、

不具合が無いのだからそう考えるのが自然だ。

・・・となると、いつの間に替えられたのか?

それは、・・・・・・さっき報告書を取りに行った時だろう。

誰がそんな事を・・?

それはもう、この部屋には今二人しか居ないのだから、中嶋しか考えられない。

一瞬でそこまで考えが及ぶと、啓太は無意識に中嶋の名前を呼んでいた。

 

「!!中嶋さんっ」

「・・なんだ?」

 

中嶋は、こちらには目もくれずに作業しながら、返事だけ返す。

「あのっ、椅子、ありがとうございます!」

「・・・・・何のことだ?」

それでも啓太がお礼を言うと、中嶋はこちらに向き直り少し不機嫌そうな顔をして、しらばっくれている。

「・・・いいえ。さっき、椅子がぐらぐらして困ってたんですけど、席を立った隙に直ったみたいで、

・・・・・・嬉しいです。」

席を立った時にでも、偶然気が付いてやってくれたのだろう。

中嶋は肯定しないが、状況的に見ても中嶋が取り替えたとしか考えられない。

言い方を変えて、笑顔を見せると中嶋は、一瞬視線を外し、

「・・そうか。まぁ、お前が良いなら良い。それより、そこの書類。今日中にセットしないとならんが、いくつ出来ている?」

そう言うと啓太の手元の散らばった書類を見て、厳しい視線で問い掛けてきた。

「あっ・・・と、ええと・・十四部・・・です。」

慌てて啓太は視線を手元に移して手早く数えながらそう答えると、中嶋の方からフッ、と笑う気配がした。

『あ、今笑った・・?』

そう思って顔を上げたが、そこにはすでに表情を変えた中嶋が、少し呆れたような顔でこちらを見ていた。

「まだ、半分も終わってないのか。・・少しペースを上げてくれ。」

そう言うと、くるりと向きを変えてしまった。

「あ、すみません・・。」

『そうだった、そうだった。三十部作らなきゃいけないんだった。』

すっかり忘れていたが、手元の書類を三十部作る仕事を啓太はしていたのだ。

途中までは順調にいっていたけど、中嶋の眼鏡が気になった事でペースが落ちていたのだった。

とりあえず、書類を三十部完成させねば。

 

気合を入れ直した啓太は、ハイペースでさくさくと作業をこなし、予定していた時間よりも早くに、

依頼された三十部を完成させる事が出来た。

『ここを留めて・・・っと。出来た!!』

数を確認した後、中嶋に報告しようと勢いよく振り向いたが、啓太の動きはそこで止まってしまった。 

 

 

 

 

中嶋が、眠っていたのだ。

左手をキーボードに置き、右手で肘を突き、その手の上に顎を乗せて静かに目を閉じている。

やけに静かだとは思ったが、必死で書類を作成していたので気が付かなかったのだ。

『うわ〜。中嶋さんでも居眠りするんだ〜』

変なところで感心してしまう。

しかし常に冷静で余裕で、人に隙を見せるなんて想像も付かない人だけに、珍しい。

『やっぱり、仕事が忙し過ぎるんじゃ・・』

今度、王様にはびしっと仕事さぼらないように言ってみよう!と決意しつつ、啓太は中嶋の顔をよく見たくて、音に気を付けながらそっと近付いてみた。

目を閉じて考え事をしているだけのように見える。

眼鏡もそのままだ。

それにしても、こんなに近くで、しかも自分より背の高い人を上から見る事が出来るのは不思議な気分だ。

『うーん。中嶋さんて結構、睫毛長いんだな〜』

それに、よく見なくてもやはり整った顔をしている。

平凡な啓太からすれば羨ましい限りである。

ふと、肘のところを見ると、先ほど啓太が頼まれて持って来た報告書がそのまま置いてある。

どうも、使った形跡が感じられない。

 

 

『?・・・・・!!・・・まさか。』

 

 

考えた途端、啓太はドクンと胸のあたりが波立つのを感じた。

やはり、あの時中嶋は啓太を見ていたのだ。

椅子の不具合に気が付いた中嶋は、報告書を啓太に持って来させる事で席を立たせ、その間に椅子をさりげなく取り替えてくれたのだ。

偶然ではなく、必然。

態度は常にそっけなく、言葉も容赦がない。

誰にでも分かるような優しい性格でもない。

でも。

こんなふうに相手に負担を感じさせずに、いつの間にか力になってくれている。

啓太は、こんな不器用な優しさを感じた事が今までなかった。

 

だからかもしれない。

啓太は、中嶋に興味を持ち、「知りたい」と思うようになっていた。

 

 

知りたいから、近づいてみる。

 

 

でも、硝子一枚隔てた向こう側の瞳は閉じられたままだ。

いつも、視線は眼鏡越し。

眼鏡に光が反射して、表情がよく見えなかったりする時もある。

“目は口ほどにものを言う”と、よく言うではないか。

 

・・・だから。

 

「・・目が・・見たいなぁ・・・直接。」

「ん・・。・・・伊藤・・・?」

心の中で言ったつもりが、つい口に出してしまったらしい。

中嶋はその声で起きてしまい、傍に啓太が居ることが分かると、名前を呼んできた。

「あ・・っ!すみません!起こしちゃいましたね・・。三十部出来たから・・・。」

慌てて中嶋の傍から離れる。

「・・・・。そうか。助かった、伊藤。礼を言う。」

こめかみを押さえて一瞬疲れた顔をしたが、直ぐにいつもの不敵な笑顔に戻り、啓太に礼を言ってきた。

「いえ、そんな・・。俺こそ・・遅くなって、ごめんなさい。」

「なんだ。気にしたのか?」

「気にしますよ、そりゃ・・・。」

「それは、良い心がけだ。」

事も無げにそう言うと中嶋は席を立ち、棚の中から何かを取り出している。

しばらくすると、紙コップを手に戻って来た。

コーヒーの良い香りがする。

中嶋は片方に口を付けつつ、もう片方を啓太に差し出してきた。

「あっ、ありがとうございます」

「他にも丹羽が飲む日本茶があるが、そっちが良いなら自分で淹れろ。ポットはそこだ。」

コーヒーを飲みながら、相変わらずそっけない物言いである。

「いえっ。俺、これが良いです。いただきます!」

啓太は紙コップを大事そうに両手で持ち、ニコニコしている。

 

 

「それはそうと・・・・伊藤。」

「はい?」

眼鏡越しにいつもの鋭い視線が啓太を捕らえている。

「さっき、ずっと俺を見ていたな。なぜだ?」

「・・・っつ!!」

啓太はもう少しでコーヒーを吐き出すところだった。

さっき、というのは眠っていた時のことだろう。

気が付いていたのか・・?

啓太は途端に顔が赤くなるのを感じた。

秘密のイタズラがばれてしまった様な、そんな恥ずかしさを感じる。

「それは・・、ええと、その・・・。気が付いてたんですか・・?」

「いや。だが、目が覚めたらお前が至近距離にいた。・・という事は、俺に近づいて俺を見ていたという事になる。・・・違うか?」

言われてみれば、全くもってその通り。

観念して中嶋を見ると、やはりこちらを真っ直ぐに見ている。

でも、表情が読めない。

硝子が・・・硝子一枚隔てた向こう側の表情を遠いものに感じさせる。

「眼鏡・・・。」

「何?」

「眼鏡外したところ、見た事無いなぁって・・。」

「は・・?」

中嶋にしてみれば、相当予想外の答えだったようだ。

目を見開いて驚いている。

「す、すみません。いつも眼鏡掛けてるから・・」

「当たり前だ。外したら、見えないだろう。」

「そ、そうですよねっ。でも・・何か遠い気がして・・だから直接見てみたくて・・すみません」

動揺のせいか、言っていることが支離滅裂になってきた啓太だが、思った事をそのまま言葉にしてみる。

「遠いから・・直接、見たい・・?・・・・ほう。」

中嶋は啓太の言葉を反芻すると、思い当たる事があるのか、口元に不敵な笑みを浮かべて啓太に問い掛けてくる。

「伊藤は、俺との距離がこの眼鏡で隔てられていると、そう思ってる訳か?」

「あっ。そう、そうなんです!そんな感じ・・っ」

思っていた事が伝わったので、啓太は思いっきり肯定してしまった。

中嶋が目を細めて啓太を見ている。

「この硝子の壁を取ったら、距離が縮まると思うか・・?」

「それは・・わかりません。でも“目は口ほどに物を言う”って言うし、目を見れたら今よりは近づけるような・・・・気が・・す・・る・・。」

つい、自分の考えを声高に語ってしまったが、よく考えたらすごく恥ずかしい事を言っている事に啓太は途中で気付き、声が小さくなる。

『ああ〜、俺ってば何を言ってるんだろ!!目を見てみたいとか近づいてみたいって普通、言わないよな〜。これじゃ、変な人だよ〜〜!!』

目をぐるぐるさせて動揺している啓太を中嶋は面白そうに眺めている。

「“目は口ほどにものを言う”・・・・か。当たらずとも遠からず、というところだな。」

「・・・・え?」

中嶋がそう呟いて、飲み終えた紙コップを捨てに席を立つと、丁度チャイムが校内に鳴り響いて、時刻を知らせた。

「伊藤。今日は助かった。こんな時間だ、もう寮に戻った方がいいだろう。」

「あ、そうですね。中嶋さんは?」

すっかりいつもの顔に戻った中嶋は、寝ていた分の仕事が片付き次第寮に帰ると告げ、啓太に先に帰るように促した。

 

 

「それじゃ、お先に失礼します!」

「・・・・伊藤。」

 

ドアを開けて帰ろうとした瞬間、中嶋に呼び止められて振り向いた。

「はい?・・・!!!」

啓太の目に入ってきたのは、机に軽く腰掛けてこちらを見ていた中嶋が、その眼鏡を外すところだった。

軽く目をつむり右手で眼鏡を外すと、ゆっくりと目を開く。

その視線が啓太と直にぶつかった。

その瞬間、啓太は確かに感じた。

硝子一枚分の距離が縮まっていると。

いや、それ以上か。

無意識に、啓太の表情に嬉しさが滲み出たのを見た中嶋は、

満足そうに微笑んだ。

 

 

 

「気を付けて帰れよ。」

 

 

 

それは、中嶋自身でも気付かない程の優しい笑顔だった。

 

 

硝子の向こう側にあるもの。

それは手を伸ばせば、届くのかもしれない。

 

 

 

          ◆◆◆ 硝子の向こう側  了 ◆◆◆

 


 

中嶋×啓太なのに、エロくないので申し訳なさすぎ・・。

一応、ゲーム中で最初にいかがわしい事(笑)される前日位のイメージなのです。

自分に好意的になったのを分かってて、あーゆー事をするという、

確信犯的なところが、好きです。

 

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